私は、自分の気持ちを
伝える事が苦手です。
否定されるのが怖いから…
嬉しいとか、楽しいとか
ポジティブな感情は言葉にできても
何が嬉しいのか、何が楽しいのか…
感情の『深い部分』を
表に出す事はできませんでした。
受け入れてもらえなかったら、悲しいから。
ネガティブな感情を
口にするのも怖かった…
嫌な人だと思われたら、心が苦しくなるから。
どこに行きたいとか、何をしたいとか
自分の希望を言う事もできませんでした。
どうせ「また今度ね」
と言われて、スルーされるから。
どうせ、希望が叶ったとしても
つまらなそうな態度を取られるから。
深刻な悩みがあって
苦しくてたまらなかった時も…
人に打ち明けたり、
相談する事ができませんでした。
どうせ受け入れてもらえないし、
真面目に聞いてもらえないから。
「まだ悩んでるの?もういいじゃん」
「そんなの当たり前でしょ」
「あなたの考え方が
おかしいんじゃない?」
「こうすれば良かったのに。
何でそうしなかったの?」
…否定される。
自分の価値観を押し付けてくる。
私の価値観を知ろうとはしてくれない。
寄り添ってくれない。
受け入れようとしてくれない。
否定される。突き放される。
そんな経験が何回もありました。
受け入れてもらえなかった時の
『悲しい気持ち』が積み重なって、
つらくて、苦しくて、悲しくて…
自分の気持ちを伝えるのが
怖いと感じるようになりました。
もう、悲しい気持ちを味わいたくない。怖い…
私は自分の心を守るために
気持ちを『封印』するようになりました。
心が傷つかないように
自分の心を殺して、
相手に合わせるようになりました。
【相手の価値観に寄り添い、同調する】
そうすれば、否定されることは
ないと思ったんです。
でも…それでも、やっぱり
受け入れてもらえない時がありました。
ほんの少しでも、
その人の価値観とズレてしまうと
「あなたは、私とは違うんだね」
「同じ(価値観)だと思ってたのに…」
こんな風に言われてしまいます。
なんだか突き放されたような
拒絶されたような感じがして、
心が苦しくなりました。
(もっと合わせなきゃ。もっと…)
突き放されるのが怖くて、
さらに徹底して自分を殺すようになりました。
(合わせなきゃ。合わせなきゃ…)
(もっと、もっと!)
数年後…完全に『自分の心』が死にました。
- 今、何を感じているのか?
- どう思っているのか?
- どうしたいのか?
全く分からなくなってしまったのです。
ドラマや映画を観ても
昔ほど、楽しめなくなりました。
どこに行きたいとか、
何をしたいという『欲』の感情も
全くなくなりました。
ストレスは溜まるばかりで
発散する方法がない…
【感情が死んでいる】から。
つらい。苦しい…
人から『受け入れてもらえない』ことが
悲しいから、自分の心を殺したのに
心は全然ラクになってくれません。
- 自分の感情を出しても、傷つく
- 感情を封印しても、結局傷つく
自分を殺して、何年も相手に合わせ続けて
ストレスを溜め込みに
溜め込んだ結果、心が悲鳴をあげて…
どっちにしろ、つらいなら
自分の感情を出した方が良くない?
受け入れてもらえなかったら悲しいけど、
今の『感情が死んでいる状態』より
よっぽどマシだよ。
ようやく、そう思えるようになりました。
感情が死ぬと『つらい・苦しい・悲しい』
しか感じられなくなってしまいます。
人前では笑っていても、
心は全然楽しんでいない…
どんどん自分がなくなって、
何を感じて、何を考えているのかも
全く分からなくなって…
そんな自分が、嫌いになっていくんです。
これは、自分の感情を出して
相手に受け入れてもらえなかった
時よりもつらかった…
苦しくて、悲しくて…
生きているのが嫌になりました。
そこまで追い詰められて、
ようやく目が覚めたというか
このままじゃダメだ!
自分の気持ちを、もっと大切にしよう。
しっかり感情と向き合って、
傷つくのは怖いけど相手にちゃんと、
気持ちを伝えられるようにしよう。
そんな風に思えるようになりました。
それから、少しずつ少しずつ
『自分の感情』が蘇ってきました。
バラエティ番組を見て
心の底から笑えるようになったし、
ドラマや映画を観て
「ここが面白い」
「このシーンは引き込まれる」と
感情の変化を、楽しめるようにもなりました。
- これは面白い・これはつまらない
⇒どんなところが? - これは好き・これは苦手
⇒どうして?
自分の気持ちに、しっかりと向き合うことで
長年『封じ込めていた感情たち』が
徐々に呼び起こされているような感覚です。
相手に気持ちを伝えるのは
やっぱり怖いけど…
少しずつ、些細なことから
伝える努力をしています。
怖いけど、もう自分の心を殺したくないから。